自分とは違う世界で生きている人の、
思いや日常を垣間見ることができるのも、読書の醍醐味。
その世界がマニアックであればあるほど、
知的好奇心が刺激されて、面白さは増してゆきます。
今回ご紹介する『仏果を得ず』は、まさにそんな一冊です。
テーマは、ずばり《文楽》!
実は私、この本を読むまで文楽をほとんど知りませんでした。
読んで初めて、文楽が大阪発祥の古典芸能であることや、
音楽的な節回しで戯曲的な内容を物語る“浄瑠璃”と、
それを演奏する“三味線”、それらに合わせて演技する“人形”という、
三つの要素から成ること、
演者には、文楽の家系出身者以外にも日本芸術振興会が育成した、
技芸員と呼ばれる方たちがいることを知りました。
主人公の笹本健太夫は、まさにそんな技芸員の一人。
浄瑠璃を担当する若手太夫の中でも、注目の成長株です。
物語は、健が師匠にして人間国宝の笹本銀太夫から、
三味線の鷺澤兎一郎と組むよう勧められるところから始まります。
「情を語る」太夫と「模様を弾く」三味線の息が合わなければ、
魂なき人形に命を吹き込むことは出来ません。
ところが兎一郎は、「実力はあるが変人」と評判の人物。
とまどいながらも健は、兎一郎との距離を少しずつ狭めてゆきます。
芸道一筋の健ですが、貧乏ゆえにラブホテルの一室で暮らしたり、
教え子の母親と恋仲になったり、その教え子からも告白されたり、
私生活では思いも寄らない事件が次々と起こります。
それらが全て芸を磨く結果に結びついてゆくのが面白いところ。
文楽が生まれた300年前も今も、
人間の本質はほとんど変わらないということでしょうか。
終盤、『仮名手本忠臣蔵』という大作の六段目、
「勘平腹切の段」を語る太夫に大抜擢された健が、悩んだ末に、
勘平の姿に自分を重ねながら、とり憑かれたように語る姿は圧巻です。
健、兎一郎、本舞台の人形たちが一体となり、舞台は大成功。
客席から、万雷の拍手を浴びるのです。
本の帯にはこうありました。
「“好き”が過ぎるとバカになる。でも、そんなバカならなってみたい」
――まさにその通り! 文楽にすべてを捧げても惜しくないと思う、
健の一途さに胸を打たれます。
読み終えたとたんに、文楽を観たくなること間違いなし!
知っている人はもちろん、文楽を知らない人も楽しめる、
熱くて爽やかな青春小説です。