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きゃしゃな身体に、肩先で切りそろえたサラサラの髪。おっとりとして透明感のある武井美樹さんは、ママというより少女のよう。小さなころからピアノひと筋できたお嬢さんのようにも見えるけれど、学生時代には肉体労働系のバイトをしたこともあるそう。「遠まわりした」という、これまでの歩みと、日々の過ごし方をうかがいます。

―― ピアノをはじめたのは、いつからですか?
4歳からです。父がNHKの音声の仕事をしていて、クラシック番組の担当だったので、家でもよく聴いていたんです。
小学6年からは東京に週1回レッスンに通っていました。高校から東京の音楽学校に行き、大学まで。
―― 卒業後に仙台に戻ろうと思われたのは、なぜですか?
留学しない人のほうが少ない大学だったのですが、習っていたピアノの先生に、私には留学よりも社会にでたほうが、と勧められて。卒業する前から仙台に戻ることが決まっていました。
学生のときも、休みになると仙台に帰ってきていたので、戻ることへの迷いはありませんでした。もともとコンクリートジャングルにいると息がつまりそうで、緑や山がないと苦しくなるほうなので。
―― ひたすらピアノの道を?
それが、そうでもなくて。音楽学校に入ってからも、ほかのことが向いているのではと思って。それに、母がひとりで仕送りをしてくれていて。バイトする必要はなかったけど、働かずにはいられなかった。音楽学校の学生にしてはめずらしく、10種類以上のバイトをしています。いま考えると、その時間に練習したり、コンサートを聴きに行ったりしていればよかったと思うんですけど。かえって親不孝していました。
バイトは、引越し屋とか、試食・試飲のキャンペーンガールとか、ウエイトレスとか。引越し屋のバイトも通常、女性は梱包作業にまわされることが多いなか、運搬作業にまわされたりして、2軒目からは使いものにならないからとトラックで待たされたこともありました。いろんなことを見てみたかったんです。本当に音楽だけでいいのかな、と思って。
小さいころからピアノをやってきて、中学生のころからは習っていた先生に与えられたレールの上を歩くままで。ピアノは好きだったので、いいかなと思っていたんですけど。本当にこれでいいかどうか、わからなくて。

―― 音楽が必要だと思えたのは、いつごろですか?
大学を卒業してからです。大学を卒業してしばらくは講師として教えるのがメインで、演奏活動もしていたんですけど。室内楽でほかの方と演奏したとき、違う自分を引き出してもらえたんです。自分でも、こんなふうに弾けるんだと思えるくらい、音の幅が広がりました。それで、もっといろいろ弾いてみたいな、と。
遠まわりしてわかったんです。音楽が好き、演奏が好き、自分を表現するのは、これしかない、と。
音楽を意識してからは、体のことも考えるようになり、腕立て伏せや、背筋、腹筋の運動を欠かさなくなりました。それから、体調を整えるため、毎日水を2リットル近く飲んでいます。
―― 子育てしながらの演奏活動もたいへんでしょう。
演奏するには、当日だけじゃなく、どうしても練習が必要なんです。子どもが家にいると練習ができなくて、腕が落ちてくる不安があるのですが、主人や母が練習する環境をつくってくれているので。
主人はオーケストラのヴァイオリン奏者で、午前中は家にいることが多いんです。私の本番の日もわかってくれているから、そろそろ練習したいだろうと察知して、子どもを散歩やドライブに連れていってくれます。そういうところは、音楽をやっている人なので、わかってくれます。
仕事のない日は、午前中はそうじとか洗濯とか。午後は息子や犬と散歩にいったり、お昼寝したり。児童館に行って、お母さん仲間と子どものことや幼稚園のことなどを話したりしています。
料理は主人のほうが上手で、結婚当初からかなりの割合で主人が作ってくれます。マーボ豆腐とかグラタンとか、ひと通りなんでも。
お休みの日に杜の湖畔公園にお弁当を持って出かけるときも、主人とふたりで、おにぎりやから揚げ、サラダなどを作ったりして。アウトドアは苦手ですけど、森林浴でボーッとするのが好きなんです。 |