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淡くやさしい花たちと、アール・ヌーヴォーを代表するミュッシャの繊細で優美な絵、アンティークな風合いのポットなどに彩られた教室が、阿部さやかさんの美の世界を象徴しています。しなやかで可憐な印象の「さやか先生」ですが、これまでの歩みをうかがえば、驚くほど凛とした生き方が見えてきます。

―― フラワーデザインを学ぶために東京へ?
最初は、生け花を習うつもりていたんです。ところが、教えていただくはずの家元が入院してしまわれて。そのころ、東京ではちょうどフラワーデザインが流行りはじめた頃。教室を開くのを手伝う人を探していると聞いて、何も知らないままアシスタントとして手伝いはじめました。それが、20歳のとき。
仙台で通っていた4年制の女子大を退学して、東京に行きました。20歳でせっぱ詰まっていたんですね。何かをはじめるには、年齢的にも限界かと思ったんです。2つ上の姉が就職活動でたいへんなのを見て、4年制大学を出るとすぐ就職、そして結婚と続くだろうと思って。何かやるとしたら、いましかないと、親を説得しました。説得するには、中学2年から習ってきたお花しかなかったんです。
―― 中途退学と親元を離れることを、よくご決断されました。
小さい頃から漠然と、はやく独立して生きたいと思っていたんです。三姉妹の中で、いちばん評価が低くて。ぽわんとしていて、何をするにもやることが遅くて、本を読んでいると呼ばれたことにも気づかないような子で、叱られ役だったんです。
父が心配して、「この子は受験勉強でもまれるのはたいへんだろうから」と、私だけ中学から私立に行かせてもらいました。勉強をしたいとは思わなかったけれど、夜になると父がついて勉強を教えてくれるのがうれしくて。思いのほか受験もうまくいって、クリスチャンの学校に入ったのも大きかったですね。
クリスチャンにはなりませんでしたが、自分で律することの大切さや、やさしくあらなければとか、考え方にかなり影響がありましたから。

―― 考え方に影響を与えたのは、どんなことでしょう?
中学生くらいのときに読んだ、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』です。そこに登場するデミアンという少年が、自分で自分を育てているのですが、わたしも自分で自分を育てようと決意して。
家にいたら、自分が自分らしく生きていくことができない。このままでは一生、劣等生になってしまうような気がしたので。
わたしにとって父は立派すぎ、母はきちんとしているのですが感情的な部分で相容れないところがあって、愛情を感じられなくて。そうは言っても、20歳で東京に行くまで母が洋服を作ってくれていて、『装苑』を見ながら衿はこれがいいわと言ったりしていたのですから、母の愛情を感じられないもなにもないんですけれど(笑)。
ヘッセには『知と愛』とか、お釈迦さまの話を書いた『シッダールタ』とかありますが、そういった本から学んだことが、いまのわたしの人間性をつくっているかもしれません。
―― いまでも本は、よくお読みになりますか?
どんなに忙しくても、眠る前に本を読みます。ベッドで上半身を起こして、冬はショールを肩にかけて読んでいます。15分か20分くらい。長い時間ではないんですけれど、日常と離れて眠りにつくことができるので。藤沢周平とか、いまは染色家の志村ふくみさんの随筆とか、ときどきマンガも読みます。
生徒さんから『SWAN』というバレエのマンガを紹介されて、2冊くらい読んだらやめられなくなって、残りを宅急便で送ってもらいました(笑)。マンガから得たこともいっぱいあって、日本人のバレエが素敵なのは、動く前にひと呼吸おくからなんですってね。
荒川静香さんが《トゥーランドット》をやるときも一拍おいていて、その間合いが惹きつけるんですね。
わたし自身、講習会で話すのが下手で、下手で、どうしたら人を惹きつけられるかと本を読んで研究したりもしたんですけれど、一拍おくことの大切さを知ってから、一方的に話すだけでなく、「ね」とひと言入れるようになりました。
でも、意識していないときも、どうしようか……と思いながら顔を上げて話すとき、ちょっと間があくみたいで、「大丈夫?」と惹きつけているところがあるみたいですけれど(笑)。
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