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住宅街の奥にひっそり隠れるようにある焼菓子スタジオは、築40年の一戸建てを改装したもの。自宅の隣に工房をもちたいという念願をかなえたのは、いまから7年前のこと。1日の大半を過ごすスタジオで、高木雅美さんのこれまでの転勤族の主婦としての暮らしぶり、モノづくりをする人としての生き方をうかがいました。

―― ずいぶんいろいろな地域にお住まいに。
横浜の勤務先で知り合った主人と結婚して、当初は逗子にいたんです。海に歩いていけるようなところに1年。その後、静岡の御殿場で、富士山が目の前に見えるところに約2年。兵庫県の尼崎に1年。東京の町田に2、3年。その後、主人の実家の横浜に同居して、転勤で仙台に来ました。それから、12年。ここが一番長くなりました。
―― それまで仙台に来られたことは?
まったくなくて、旅行でも来たことがなかったんです。でも、主人は東北大の出身なので喜んで、私も家族一緒に動くのが自然だったので、不安はありませんでした。ただ、横浜で焼菓子が軌道にのりだしたときで、人のつながりを切って来ないといけないのが、もったいないなとは思いましたが。お店のオーナーに、「宅急便で送ればいいじゃない。仙台でも置けるところを探したらいいわよ」と言われて、そうかと。
―― 仙台に来られてから、すぐ行動を?
最初は社宅に住んでいたので、会社のおつきあいの延長でしたけど、すぐ個人行動というか。自分の工房を見つけなきゃという感じで。
人通りの多いほうが売れるんでしょうけど、メイン通りというのが苦手なんです。いま仙台で置かせてもらっている『スペースen』も、当時住んでいたところから仙台駅に行く裏道で見つけたお店。いろいろ見て歩きましたが、ピンときたのがこのお店でした。「置かせてくれませんか」と言ったら、数日後に「やってみましょう」と言ってくださって。いまは横浜と仙台、1店舗ずつで販売しています。

―― もともとお菓子づくりが好きで?
いえ、趣味でもつくったことがなくて、夫の実家に同居してからです。週末になると親戚が集まる家で、料理が好きだったので食事を担当していました。調理道具も中華街で特注した大きな中華鍋があって、古いガスオーブンもあって。1歳から6歳まで8人の子どもたちが集まるので、おやつをつくれないかなと思うようになって。
その頃、焼きっぱなしのお菓子がブームで、薄い本を数冊読んでつくったらハマッたんです。お菓子やピザなど、粉ものはひと通り飽きちゃうくらいつくって、またお菓子に戻りました。
―― 販売されるようになったきっかけは?
幼稚園のお母さん友達に毎回あげていたら、「売って」と言われるようになって。うちに来ると買わないといけないと思われるのも面倒だから、知らない人に商品として売ろうと思ったのが最初です。ママ友達が試食して、商品になるかどうかメモしてくれて、それで売り出してみようと。
いまだったら絶対に言いだせませんけど、『ランドマークタワー』のカフェとか、元町のシブいカフェとかに行って、「こういうお菓子をつくっているんですけど、置いてくれますか」と。大手になると、「毎朝、何ロット入れられますか」と聞かれて、これはダメだ、と。
個人のお店にも行ったりしたけど、最終的には子どもを幼稚園に送っていく途中にあったお店になりました。オードブルやハムを置いているちょっと高級そうなお店で、ダメモトで言ってみたら「やってみましょう」と言っていただけて。それがいまも続いているんです。
当時は屋号ももっていなかったら、そのお店のご主人が「ハンドメイドタカギ」というシールを作って貼ってくれて、いまの屋号にするまで続いていました。
―― とても親切な方ですね。
「本当にありがとうございます」という人間関係が、すごく多いんです。お菓子も必ずしも楽しくて焼きはじめたわけじゃなく、みんなと仲良くしたいと焼きはじめたら、思いのほか喜んでくれて。ツライところからどうにかしようとしていると、何かが生まれてくることがあって。うまくいくときもあれば、空回りすることもあるけど、みんなに喜んでもらいたいというのがベースにあるんです。
世の中にはいっぱいお菓子があるけど、見て「うわっ、かわいい、おもしろい、楽しい」って感じてもらえたらいいなと思って。
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