山あいにある築150年の古民家。のれんをくぐれば、薪ストーブがあり、「展示の部屋」の棚には焼物が並んでいます。古びた柱時計に、藍染のタペストリー、飾られた絵手紙と、美意識を感じさせるものが、あちらこちらに。住み手のハツミさんご夫妻に、「ひとまず、ゆったりと」と自作の器で抹茶をおもてなしされ、ふぅーっとひと息ついてお話ははじまりました。

―― よくお茶を点てることが?
毎日、仕事はじめに、自分で作った器でいただいています。お抹茶茶碗じゃない器でもいいですし。その時々の気分に合わせて器を選ぶんです。
―― 和みますね。緑も見渡せて。
ここは、自然がすばらしくて、子育てするときは、川で遊んだり、山で遊んだり。男の子3人だから、いつも外で遊んでいて、子どもと一緒になって遊んでいる感じでした。ホタルがいたり、カブトムシが電灯の下にいたりして楽しくてね。
私は東京の下町で育ったので、土もないし、アスファルトばかりでした。夏休みに両親の地元の茨城に行って、ザリガニを取ったりしていたのですが、それを追体験した感じ。草を見る、小動物を見る、風を感じる、それがよかったですね。
―― そのような暮らしの中から焼物に?
子どもが手を離れてからですね。下の子が小学生、上の子が中学か高校くらいの頃から。それまで、ほとんど焼物はやっていなかったんです。
それが、赤い絵付けの焼物がかわいいと興味がわいてきたら、目の前に材料があって、やってみようかなと思ったのがはじまりです。
もともとモノを作ったり、絵を描いたりするのが好きで。父は紳士靴の職人で、おじいちゃんは竹細工の職人。下町なので、周りはモノづくりの人ばかり。畳屋さん、かばん屋さん、洋服屋さん、漆器屋さん・・・。父が靴を作る際、その無駄のない動きに見とれていました。小さい時から何かしたいとは思っていたんです。
結婚する前から、焼物が好きで、見たり、贈り物に選んだりしていて。たまたま東京で知り合った主人も、偶然、モノづくりの家で。モノをつくるのが、ごく普通のことでした。
―― 東京から仙台に来られたときの印象は?
新幹線が通る前で、けっこう遠いイメージはありましたけど、焼物ができるので、楽しそうだなと思って来ました。
主人の祖父の窯場には、池があって、茶室があって、遊んでいる感覚。そこに3年いましたが、親がかりのところから、自分たちでやってみたいと、親戚もいない村田に移って来たんです。
最初に住んだところは、電気は通っていましたけど、水道もガスもない山の中。四駆でしか行けないところでした。子どもが生まれてから、水や雪の心配があって、病院の近いところにと公営住宅に移ったんです。

―― 二人三脚ですね。
焼物って経済的にたいへんで、やめていく人もいます。収入を考えれば、毎回新しい作品を発表し続ける展示会中心の仕事は厳しいですが、こうして続けていければ幸せなことだと思っているんです。
多少のガマンはあっても、自分が好きなことを第一に考えています。そういうふうにしか、生きられないんでしょうけど。
―― 夫婦で作家というのは、どのような感じでしょう?
展覧会をしたギャラリーなどで、「一つの家に、作家は2人いらない」と言われたこともありました。1人の作家を育てるために、妻はサポートすることが多いけど、自分はできなかったんですね。
私は基本を知らずに陶芸をはじめたので、主人が説明しなければならなくて、時間をロスさせたなとは思います。最初はケンカもしたし、ぶつかることもあって。
モノができあがって、ふたりで「いいね」となればいいけれど、私が「いいな」と思っても、主人は「ぜんぜん、まだまだ」という感じで(笑)。
ようやく最近、お互いのいいところを合わせることができるようになってきました。共作でピタッとできたときが、うれしいんです。
|