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まるで煌々としたライティングに照らされたような空気を放つ、鈴木せつ子さん。ポジティブで、潔く、ときに猛反省する、そのありようは粋そのもの。ひとの心の動きや痛みにも敏感なのは、ご自身が苦労をスパイスとして受けとめ、乗り越えてこられたからでもあるのでしょう。せつ子ママの、大局的なものの見方と考え方をうかがいました。

―― 大手企業から、よく思いきって転身されました。
OLをしていても、いつも別の道があるのでは、と思っていましたから。勤めていた盛岡支店から仙台に事務講習会で来たとき、支店長がキャバレーに連れて行ってくださったんです。
当時キャバレーは、華やかで、品があって、素敵な女性がたくさんいて、都会だなと思ったのが、仙台に来るきっかけになりました。もともと祖父母が大きな料亭をしていたんです。早くに亡くなり、没落しましたが、そのDNAが私にきたようです。
―― ライフデザインがあってのことでしょうか。
ないです、ないです。高校のときから、計画はまったくありません。
高校には進学コースと就職コースがあって、経済的に進学をあきらめ、就職コースに進みました。そこで1番になれば、希望した会社への就職が叶うだろうと思っていたんです。
ところが、めざしていた会社のテストに受かり、面接にも受かったのですが、入れませんでした。母ひとり子ひとりという家庭に、当時はかなり偏見があって受からなかったんです。1番の成績で入社できないのに、30番、40番の人が縁故で入っていく。一生懸命がんばっても報われないことがあるのだと思い知りました。
いったん別の地元企業に就職はしましたが、どうしても上場企業に入りたいと、募集があった会社の盛岡支店を受けたら、「おもしろい」と採用になったんです。
―― その後、盛岡から仙台へ?
お店を始めるなら、盛岡のほうが人脈もありましたし、ラクだったでしょう。でも、仙台は母の出身地でもあって、将来、母を仙台に呼び寄せたいというのが、ひとつの目標でもありました。
そして、なによりも仙台は大きな街でしたから。年齢も考えて、25歳になる前に行動したいと思ったんです。
―― 自ら困難に飛びこんでいかれるところが?
人生スイスイいくよりも、うまくいかないことのほうが、ひとつの大きなバネになります。苦労はすべてプラスになりますから、大いに苦労すべきです。苦労があって、喜びが倍になりますから。苦労のままで終わらせてはいけないの。ひとつ苦労があったら、そのたびにワンステップずつ上がっていく。それが積み重なっていきます。けっしてマイナスにはなりません。
つらいことが押し寄せてきたときも、ヨシッと受けとめます。冷や汗を流しながらも、眠れない夜があっても。それでも、胃を病んだことがないのは、意外に楽天的なのかもしれませんね。

―― 自分を高めていくことも必要になりますね。
それは、お客さまとの出会いがキーポイントになります。一流の方々とお会いすると、勉強していないと話についていけません。
25歳でこの世界に入って、無我夢中でBarを始めて、忙殺されて。高級クラブを始めるとき、これじゃダメだ、自分を高めなければと思って、お稽古ごとを始めました。
お花を始めて師範を取って。お茶、書道、小唄を習って、お香もかじりました。社交学の勉強会に東京にもしょっちゅう出かけて、東京に行くと美術館でいいものを見て歩いて。毎日、何かかにかやっていました。
―― 習い事で、何かが変わりましたか?
自分で変わったとは意識しませんでしたが、お茶の先生、書家の先生、それぞれにすばらしい方で、多くのことを教わりました。
人に接する姿や言葉のかけ方にも優しさが感じられましたし、生きるうえでの知恵、発想の豊かさも、語録になるほど。ひとつのことを極められた方は、ぜんぜん違います。
クラブに来られていた方も、経済界、スポーツ界、芸能界の当時のオピニオンリーダーのような方がいらっしゃいましたが、共通するのは存在感の大きさです。
経営学を学んだ盛和塾の塾長である稲盛和夫さんは、在家出家されていますが、「出家して仏門に入って修行することが修行ではない。毎日一生懸命に生きることが修行なのだ」とおっしゃいます。
一生懸命に生きていると、出会いに恵まれるんですね。そして、その出会いが、それとなく自分のめざす方向に導いてくれるんです。
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