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洋書に出てくる小部屋のようなホワイトスペースに、あまり見かけたことのない花たちが並んでいる。ふんわり香る花に囲まれて迎えてくれた舛田裕子さんは、気負いがなく、とても自然体。ことさら夢に突き進んだわけでもなく、気づけばお店のオーナーになっていたと、本人がいちばん驚いている様子。そんな舛田さんの働き方とは……。

「お花くらいできないと」と母親に勧められ、いけ花を習いはじめたのが短大のとき。就職しても続け、いけ花歴はトータル5年に。けれど、型どおりにいけることがどうしても苦手だった。
「どっちの方向に、何度に倒してとか、よくわからなくて。自由にやらせてくれるところはないかなと、フラワーデザインのスクールに通いはじめたんです」
そこで4年習い、その後、どうしても習いたかったフラワーアーティストのもとで、1年間の特別講座を受講。コースが終わったとき、その恩師からスクールの講師にと声がかかった。
「OLのまま、講師をしたい」と職場に相談してみたけれど、兼職になるからとあえなく却下。それならと舛田さんは、お花の講師のほうを優先。あっさり職場を辞め、兼職ができる契約社員となって、週1回、講師として教えるようになった。
それでも、この時点ではお花で身を立てようなど思ってもいなかったそう。OLをしながら講師を続けているうちに、今度はスクールと同系列の花店を見て「教えるより、お店で売るほうが楽しそう」と思いはじめる。そこで恩師に相談し、花店スタッフになるため、契約社員から転職した。
ふわふわすいすいマイペースの舛田さんは、いつも好きなことを素直に行動に移していく。

好きではじめたことも、店長になれば、好きなことだけではすまされない。お花の仕入れ、お店の売上管理、スタッフのやりくり、お店が終わればスクールの講師と、責任が重くなった。
めまぐるしく回っていく日々は、精神的にも、肉体的にも、かなりハード。店長を4、5年務めた後、そんな毎日に終止符を打った。このときも、先々のことを決めて辞めたわけではなかった。
「進んでから考えるほうなんです。お花の配達でも、あらかじめ地図とか住所を頭に入れてから動く人もいれば、地図をもってまず近くをめざし、近くに着いてから地図を見る人もいるでしょう。私は後者で、とりあえず進むほう」
お店を辞めてしばらくは、どうしよう……という日々。花と関わっていたい。けれど、仙台には働きたいところもない。でも仙台からは離れたくない。そう思っていたら、お花屋さんの入居を希望している物件があると友達が教えてくれた。
確かめに行くと、そこは大通りから数分入った団地の一角。あまり人通りも多くない。成り立つのかなと、鑑定の先生に相談した。
「街なかで300人つかむより、ここで30人つかむほうがいい」
その言葉で踏み出せた。このスペースなら、ひとりでできるし、やってみようかなと、親から資金援助を受けて急ピッチで開店準備。
「お店は自分の部屋のように落ち着ける感じに。全体を白でまとめて、タイルを使いたいのと、ドレッサーを置きたい」
そう伝えて、あとは感性の合うインテリアデザイナーにまかせた。

いまお店は、火曜から土曜まで週5日、11時から19時30分の営業。このうち週3日は、午前9時から昼まで仙台市中央卸売市場で花の仕入れに出かける。宮城県内はもちろん、山形、福島から、何百人も集まるセリ場で、指で価格を示す手やりでセリ落とし、仲卸からも仕入れてくる。
そして、1日は契約店のディスプレイ。このほか週末にブライダルの仕事が入ってくることもあり、ときには徹夜の日もある。
「イメージでは、ずっとお店にいて静かにのんびりと思っていたんですけど、お話をいただくと、やってみようかなと思って。気づいたら、勤めていた頃と同じになってて(笑)」

クチコミで声がかかるようになったのは、花ぞろえの楽しさもあるけれど、水あげの技術がしっかりしているのも大きな理由。
「怖いくらい枯れないから “魔女の花屋”と言われているみたいで」
ふわふわ笑顔で笑う舛田さん。逆に日持ちしなかったときも、お客さまが舛田さんが気づいていないのではと心配して教えてくれる。ご近所の方から手づくりのケーキやパンをいただくことも多く、「お店をはじめてから太ったんです」と舛田さん。みんなが、つい手をかしてあげたくなる、それも魔法のひとつかも。
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