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活弁士と聞いてわかる人は、かなりの通。「扇子で机を叩く、あれ?」と思った人は残念。そちらはおなじ話芸でも、軍記物などの物語を聞かせる講談師になる。活弁士は、無声映画に生でアフレコをつけるようなもの。その数は、全国でもわずかしかいない。その1人が、桜井麻美さん。まったく未知の世界に飛びこんだ、女性弁士の働き方やいかに!

ずいぶんもてはやされたものが、時代によって移ろうことがある。その一つが、活動写真弁士。略して、活弁士とか弁士と呼ばれている。
大正から昭和初期にかけて活躍した弁士は、最盛期に数千人もいたといわれるほど。後継者育成に力を尽くしてきたのが、桜井さんの師匠にあたる澤登 翠(さわと みどり)さん。かつてはほとんどが男性だけだった世界に、女性が活躍する場をつくりあげてきた女性弁士だ。
そのかいあって、いま弁士は10人ほどに増えてきた。うち半数が女性で、桜井さんはその1人。無声映画を専門に扱う東京の映画会社と提携し、その映画会社を通じて仕事が入ってくることが多い。
「でも、弁士のみをなりわいとしているのは、澤登師匠だけ。ほとんどの人が別の仕事ももっていて、私の場合はナレーターと、たまに派遣社員の仕事もしていました。その月にもよりますが、弁士の公演は月1〜2回くらい」
活躍の場は東京を中心に、公演数も限られているのが現状だ。

まえから弁士に思い入れがあったのかと思ったら、まったく見当違い。
「もともとは声優になりたかったんです。中学のとき『ガラスの仮面』にハマッて、高校では演劇部に入り、大学時代はラジオ番組のアシスタントをしていました。声の世界に興味があり、大学のときにアナウンススクールに通ったこともあります」
小学校の学芸会でも、よく通る声と言われたほどの声の持主。いろいろな役を演じられる声優への夢が膨らんでいった。
大学を卒業する時、地元企業の内定ももらっていたけれど、いましかできないことをしようと辞退。契約社員として働き、1年後に上京した。
東京の養成所に通いながら、何かチャンスがないかと見ていたのが、オーディション雑誌。そこにのっていた“話芸を志す人にぴったり”という文字に目がとまった。それが『東京キネマ倶楽部』が募集した専属弁士のオーディションだった。
このとき初めて無声映画を見た。漢字、映画の知識、作文などの筆記と、台本読みのオーディションを受け、みごと合格した。

弁士に採用されて3カ月後、リリアン・ギッシュ主演『散り行く花』で舞台デビュー。チャンスを求めていた人にとっては願ってもないことに思えるけれど、桜井さんにはつらい部分もあった。
「生で弁士を見たこともなかったのに、10月に合格して、1月に初舞台。年明けからは、いきなりの舞台。たとえれば、歌がヘタで、まだレッスンしていたいのに、『キャッツ』のレギュラーをまかされた感じ」
いっきに舞台まで上れたことが、逆に重荷に感じるときもあった。落語家なら若手もベテランもいて、観客も新人だからと大目に見てくれる。ところが、弁士は人数も少なく、認知度も低い。一度見てヘタなら、活弁そのものがおもしろくないと思われてしまうのでは、と心配だった。

さらに苦労したのは、台本づくり。てっきり用意された台本を見て演じるのが弁士だと思っていたら、全くちがっていた。
「台本を自分で書くと知って、ええ〜っ!?と思ったんです。映画会社からは、映像だけのビデオ1本と、字幕の直訳台本が1冊渡されるだけ。最初は、どう書いていいかもわからなくて」
フランス映画だし、SFやユーモアが入っているから、こんなテイストにしよう、登場人物のキャラクターはこうしよう。自分の声からすると、このキャラの声はこれ…と、あれこれと考えながら、台本を書いていく。
5分あたりの映像が1時間で書ければいいほう。映画1本に3〜4日かかる。どんなに天気のいい日も部屋にこもって書き続ける生活を7年続けて、ようやく台本づくりが楽しいと感じられるようになってきた。
「びしっ!と決まるセリフや、自分でもウケてしまうギャグを考えついたとき、自分の感性でつくりだす喜びがあるんです。ギャングのボスとか、悪徳の金貸しとか、声優だったら絶対に自分に割りふられることのない役を演じられるのも快感」
舞台にあがるギリギリまで考えた台本に、本番でアドリブを加えるのも楽しみのひとつ。客席が、笑い、どよめき、涙する。その一体感を味わってから、弁士をやめられなくなった。
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