
おなじ無声映画でも、弁士によってまったく異なるものに仕上がるのがおもしろいところ。誰を主人公にするかまで変わってくる。
「弁士には、自作アニメの活弁をするサブカルチャー系にも強い人、ダンスや大正琴を・声優もこなすタレント性のある人、師匠のように哲学科を出た知性派と、いろいろです。積極的にパーソナリティを出そうと思わなくても、自然と出てくるもの。価値観や恋愛観まで出てきますから」
弁士の経験を積むほど、より多くのことに気づくようにもなってきた。澤登師匠の活弁を初めて見たときは、声のつくり方にビックリ。演じ分けのすごさに驚いた。そのうち、それは演技力だけではなく、脚本が深いのだと思いあたるようになってきた。哲学的なこと、宗教的なことをも、わかりやすい言葉で入れている。こんな切り口があったんだ。このシーンを見逃していた。気づくたびに、師匠のようになりたいと強く思う。

舞台では、成功ばかりではない。前説で失敗したこともある。前説とは、上映前に作品や時代背景の説明をすること。
「下調べをしすぎて余計なことを言ってしまったことがあります。子宝にめぐまれる喜劇なのに、戦争中は亡くなる人が多くて産めよ増やせよの時代でと言ってしんみりさせてしまって、上映が盛り上がらないこともありました。それよりも自分が感じたままの率直な言葉が大切。たとえばB級のSFなら、見るからに飛ばなさそうな飛行機が飛んでおります!と言った方がおかしいですよね。」
たしかに、割り箸でつくったような飛行機なら、笑いに変えてもらったほうが楽しい。でも、それがウケるかウケないかは、客層にもよる。
「客層によっては、台本の一部や口調を変えたりします。それだけで、印象が違いますから」
地方に行けばご当地ネタを入れたりと、その時々のライヴ感を大切にしている。弁士の舞台は、お客さまと一緒につくるもの。無声映画の上映時間、笑ったり、泣いたり。気持ちを共有するところに喜びがある。

桜井さんの話から見えてきた、弁士の世界。まだまだ知らない人は多い。その存在を知らせるために、自分でHPもつくった。
「弁士のHPでは、草分けかもしれません。ちょうど個人のHPやブログが流行ってきた頃で、自分の記録をのせることにしたんです」
中学の頃から日記を書くのが好きだった。誰かの反応を求めるというよりは、自分のために書きはじめたもの。書けば頭を整理でき、記録にもなる。書くほど訪問者も増え、認知度も高められる。
大正からはじまった活弁は新しい芸能とされ、国の補助対象にはなかなかなりにくい。自分たちで広める必要もある。まだまだ収入も厳しい。
「つい求人欄に目がいくときもあります。がんばっても収入がともなわなければ、独りよがりなのではと思うし。就職してボーナスが付くほうがいいかもとか、お金持ちと結婚して弁士を続けるのもいいかもとか、たくさん妄想します(笑)」
それでも、弁士をやめることはない。誰にやらされているわけでもなく、自分自身がやりたいことだから。

仙台公演を夢みるようになったのは、弁士として少し自信もできた3年目くらいから。念願がかなったのが、2006年。お寺の本堂で、はかま姿で弁士として登場した。
「仙台では、なんでこんなに笑うの?というくらい、みんなが笑ってくれて、やっぱり仙台人の感覚にあうのかも」
友人からは「マミがやってるって感じがしなくて、おもしろかった」と言われた。
地元メディアからも取材を受けた。けれど、弁士をしていることは、家族にはナイショ。たぶん、まだ知らない。
「なんとなく恥ずかしくて言っていなんです。東京に出るとき、声の勉強にいくと言って出ただけけれど、まさか弁士をしているとは思ってないはず」
たまに仙台に帰ってくる。仙台駅に降りた瞬間、「空気がおいしい」と思う。帰ってこられるものなら、いつでも帰ってきたい。けれど、弁士としての生活が成り立たない。
「東北でもまだ見たことのない人に、もっと見てほしい」
いつか東北を拠点に、という思いを秘め、しばらくは東京生活が続く。
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