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水田が広がる仙台市郊外にある、3階建ての一戸建て。赤ちゃんをだっこしたニッコリ笑顔のお母さんが描かれた木の看板がなければ、一般の住まいのように見える。2階の助産院に上がれば、和室にテレビ、テーブル、座布団があり、ちょっと親戚の家にでも寄ったような気分。家庭のようになごめる助産院が、伊藤朋子さんの仕事場になる。

午前3時すぎ、開業して321人目の赤ちゃんが産声を上げた。体力も気力も使いきったはずなのに、夕方からの取材に朋子さんは疲れも見せず、この後も栄養士さんが作った夕食の配膳をするという。
「赤ちゃんに、会います?」
そっと和室をのぞいて見ると、お母さんと赤ちゃんの布団が並んでいる。そこに、小さな小さな赤ちゃんがいた。
「退院するまで、同じ部屋。一時も離さずくっつけておくと、お母さんと赤ちゃんは匂いと触感でお互いがわかるから、名札はいらないんです。取り違え事件もおきようがないでしょう。」
ここでは赤ちゃんとお母さんは始終いっしょ。しかも、家族も寝起きを共にできる。兄姉は学校から、父親は職場から助産院に帰ってきて、赤ちゃんと過ごし、ここからまた出かけていく。
「321人という数は、病院なら軽く超える数。でも、一人ひとり妊娠から出産まですべてを見てきた、その重みが違うんです」
助産師の多くは病院に勤め、勤務時間が決まっている。出産が迫っても、時間がくれば後はまかせて帰ることになる。そんな“点”のような関わりがもどかしくて、朋子さんは開業した。
「妊娠中どう過ごして、どんなお産をして、どんなふうに退院していったか、最初から最後まで自分でやりたかったんです」
いつお産が始まってもいいように、仙台市外にでかけることはあまりない。夜通し起きていることもしばしば。休診日にも、休めることはまずない。食事の時間帯もばらばら。でも、と言う。
「お産マニアなので、苦にならないんです」

助産院を空けることは少ないけれど、ネットワークは広がり続けている。リーダー的な素質はもともとかと思ったら、そうでもないらしい。
「学校もよくさぼっし、集団になじめなくて。わりと一匹狼が好きで、病院に勤めているときも、なんとなく居心地が悪くて。それが、独立したら人恋しくなった」
サバサバした伊藤さんのもとには、地域も年齢も関係なく、人が集まってくる。言いたいことを、言いあえる仲間たち。
「波長のあう人が集まるから、カッコつけなくていいんです。組織の中で何かやろうと思ったら、認印が10個くらい必要になるけど、ここでは、『やるよー!』の一声で、その日のうちにできてしまう」
スタッフ全員に自覚と責任感があるから、役割分担さえ決めれば、ちゃんと形になる。アロマの会に、ヨガクラス、妊婦ゴスペル隊など、仲間の一芸を生かした活動も、みんなで盛り上げていく。
「家族の状況がそれぞれだから、働き方はいろいろ。子どもを連れて来たり、ご主人が子どもの面倒をみてくれる夜間だけ来たり。給料安いし、条件悪いけど、ここにいると自分らしい、と集まってくるんです」

スタッフにとっても、お産した人にとっても、とも子助産院はサロンのような存在。健診に来る妊婦さんより、子どもを連れて遊びに来るお母さんのほうが多い日もある。家庭的な雰囲気もだけれど、それは大きな信頼があってのこと。
「心がけているのは、お産に慣れてしまわないこと。慣れるとミスもあり、事故もあるから。あくまで主役は、お母さんと赤ちゃん」
20年ちかいキャリアがあっても、月2、3回の勉強会は欠かさない。いざというときに困らない知識と人間関係が、なによりも頼りになる。
「お産があってでかけられなくても、全国から人は呼べる。志が同じだと、先生方も手弁当で来てくださるんです」
名古屋や東京から講師の先生を呼んで話を聞く。面識のない先生に依頼しても断られることはない。快く引き受けてもらえるのは、NPOなど、多くの活動に関わり、ホームページで紹介している影響もあるのだろう。

助産院、NPO、イベントなど、幅広く活動している朋子さんにとって、いちばんの喜びは、どこにあるのだろう。
「マタニティブルーでお産なんか2度とイヤだと言っていた人が、ここでお産したら、また産みたくなりましたって退院していくとき。また産みに来ましたって言われたら、うれしくなっちゃって、また受けちゃう」
とても人情派。といっても、ただただ優しいのとも違う、ちょっと厳しさもある優しさだ。
「その人が家に帰って、育児がちゃんとできて、『私って素敵』と思えるように、母親のたくましさを引き出してあげたい。女性はみんな、赤ちゃんを産んで育てる能力があるんですから」
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