
開業している方には、つい先生と呼びかけがちだけど、とも子助産院では「先生呼ばわりは禁止」。産婦さんも、スタッフも、ここではだれもが、「朋子さん」と呼ぶ。
「距離を置かないように。『こんなこと聞いたら笑われるかも、怒られるかも・・』と、思われない人になりたいなと思って。お産は、原始的で動物的なこと。心も裸になって、全部さらけだせないと、いいお産はできない。自分もかっこつけないでいたいから」
すべてをさらけだした素の産婦さんを、そのまま受けとめる。友達でも、家族でもないけれど、すべてを見せても安心な関係。心の結びつきが深くなるから、出産後も関係は続く。
「もちろん、いいことばかりじゃなくて、お産を一緒にがんばった夫婦が離婚したり、子どもを叩いたり、病気をしたり。そんなことも、一緒に泣いたり、笑ったりできる。それも、醍醐味」

どーんと構えている朋子さんだけれど、アセッたり、カベを感じたりすることはないのだろうか。その問いに、返ってきたのは、「カベは、自分でつくるものだから」。
日々のお産のことだけでなく、医療法の改正など法律上の課題が起こることもある。連携が欠かせない医師の中には、助産院そのものに好意的でない人もいる。朋子さんも、緊張してしまうことはある。
「東北大の教授とか、はじめは怖くて、アポ取るまでは手がプルプル。でも知り合いの先生から『山は高いところから崩せ』といわれたから。政治家とか議会とか、遠い存在だと思っていたけど、会ってみると人間だから。行動していれば、カベも低く薄くなる」
なにごとにも前向き。でも、「アセリといえば……」と話し始めたのが、自身の子どものこと。
「結婚して12年目。不妊治療もしたけど授からなかった。日本の法律上は養子縁組に年齢制限はないけれど、夫婦のどちらかが40歳以下であることを養子斡旋の条件にしているNPOもある。養子が成人する前に養親が定年を迎えますものね。子供の幸せのための制度ですから。あ、これは仕事のアセリというより、人生のアセリか。不妊も自然のうちと思うが、心が揺れる。」
ふれずに済ませようと思えば、済ませられたこと。ときには里親の本を読んで泣くせつなさも、隠さない。そこが、朋子さんの魅力。

人間性と、技術、そして知識。それがあれば、どこででも仕事はできる。仙台にいる理由を聞いてみると。
「どこでもいいんだけど。ここは、田んぼとか畑とか、原風景がある。観光地で出来合いのものを見るより、お産のほうがエキサイティング。夜中じゅう起きていても、ヒグラシが鳴く、カエルが鳴く。季節の移り変わりがわかるから、なごめるんです。暮らしの中にお産があって、高度医療ともつながる、恵まれた環境です。それに、都会ほど人間関係が希薄ではない。まだ、おせっかいおばちゃんがいて、子どもを地域が見てくれるし、お母さん同士のネットワークもできるから」
ここにいる理由が、いくつも見つかった。そして、忘れてはならないのが、ご主人のこと。
「こんなに仕事ばかりしているし、主人が仕事から帰ってきて『お腹が痛い』とか『ギャーッ』とか言っている産婦さんがいても、何も言わないし。手を出すわけではないけど、わかっていてくれるのかな、と。ありがたいですね。しょっちゅう口ゲンカはするけど」

これまで開業助産師として、できることに即断即決で取り組んできた。いま、思い描いている今後の方向性はあるのだろうか。
「イベントのプロデュースも好きだけど、スポットライトの中心にいるより、縁の下の力持ちみたいな、黒子がいいかな。いままでは自分が背負ってきてたけど、第2段階に入った感じ。自分のところの規模を大きくするのではなく、小さい助産院があちこちできたらいいな、と」
イメージしているのは、自宅出産が主流のオランダのような環境。助産所がいくつもあって、地域ごとにあるのが当たり前の位置づけ。その環境をめざして、後輩のサポートも行っている。
「ここは飾らない民宿みたいだし、小野さんの『森のおひさま助産院』はアンティークな雰囲気で、アロマやベビータッチングも行うし。いろいろな助産院があって、選べるようになればいい。たぶん、自分が楽しそうに仕事をしていたら、後がついてくるでしょうから」
自分の仕事と、社会との、結びつきを心得ている朋子さん。小さな努力の先に、変化は生まれてくる。それを、たゆまず実践している。
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