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もの静かで、落ち着いた雰囲気。しっかり丁寧に受け答えする様子は、入社して数年は経っているように思える。けれど、実際にはまだ入社して1年たらず。大学時代から醸造学を学び、大学院で研究を続けてきたせいもあるかもしれない。さらに、星さんをぐっと成長させたのは、入社して7カ月目に新商品の開発を任されたことだった。

いくつも石蔵が並ぶ、岩手県一関市にある『世嬉の一酒造』。その中のひとつの石蔵が、『いわて蔵ビール工場』になる。醸造士をめざす星さんにとって、念願の仕事場。
ここで、ヴァイツェン、ペールエールをはじめ、三陸の広田湾産カキを使った黒ビール<オイスタースタウト>や、一関産ブルーベリーを使った<ブルーベリービール>など、さまざまな地ビールが造られ、首都圏にも出荷されている。
地元の素材を生かしたユニークな地ビールは、全国区の食の雑誌にも取り上げられるほど注目されているけれど、現場ではあくまで手作り感が大事にされている。
地ビールの醸造部門は3名。上司と先輩がいて「私は醸造修業中です」と、少し恥ずかしそうに首をすくめる星さん。醸造担当として五年ぶりに採用された新人でもある。
星さんの仕事は、その日によってさまざまな分野に関わるけれど、毎朝きまって行うのが、ビール工場のタンク内のビールチェックになる。
「醸造中のビールの、温度や発酵具合をチェックするんです」
ごく簡単そうにも聞こえるその仕事は、ビールの温度、比重、水素イオンの指数をチェックし、データ化し、発酵の進み具合を見ること。予測の範囲をこえる数値になったときは、すぐ上司に報告する。ビールが生きていることを実感する瞬間でもある。
もうひとつ、重要になるのがテイスティング。
「毎朝、喉ごしをみています。気をつけているのは、酸味が出ないようにすること」
そう言いながら、ビールを少量注いだグラスをぐるぐると回し、香りをきき、ひと口ふくんで味わいを確かめる。

醸造に憧れはじめたのは、高校の頃から。お酒が好きな家族のもとで育ち、宮城県にあるニッカウヰスキー工場などに遊びにも行き、楽しそうなイメージがあった。
大学では醸造学を専門に学び、インターンシップで酒蔵に1週間泊まり込んだこともある。杜氏と一緒に醸造に取り組み、微生物の力で酒が生み出されていく過程を見て、なおさら醸造への期待が膨らんだ。
大学での卒業研究では満足できず、日本酒の新しい酵母をつくりたいと大学院へ。
就職は、酒造メーカーの醸造部門への女性の採用は難しいと思っていたが、世嬉の一酒造の面接では「ここで造ればいいよ」と、うれしい一言が。「ここなら造らせてもらえそう」と迷うことなく決めた。

醸造担当で入社したのだから、すぐに現場に出られると思っていた。けれど、星さんには3カ月の研修が待っていた。同じ敷地内にある「蔵元レストラン せきのいち」での、接客や厨房での盛りつけが続いた。
“ビール造りの基本は、お客さまと接すること”という会社の方針からだったけれど、それが星さんにとっては長いものに感じられた。
研修期間が過ぎても、ビールを造らせてもらえない。ビールタンクの洗浄、ビール工場内にある機器類の操作の習得などが続く。
「いつになったらビール造りができるんだろう……」
先が見えない、道のりだった。

星さんにとって、醸造とは関係のない仕事と思われたことからも、実は学ぶべきことがたくさんあった。
レストランの厨房は、立て込んでくると、いかに早く的確に対応するかにかかってくる。そこで、自分が「のんびり、マイペース」であることを思い知らされた。慌ててしまって、皿の数を間違えたこともある。
「そんなことじゃ、醸造の仕事はまかせられない」
そう言われたこともあった。落ち込み、反省の毎日。レストランの上司からは、「失敗したことを書き留めなさい」とアドバイスをもらい、地道にノートに書きつづっていった。
すると、1カ月半ほど経った頃、「変わったね」と言われるように。自分ではまったく気づかなかったけれど、どんなに慌ただしくても数を確認し、すぐに誰かにヘルプすることもなくなった自分がいた。
念願だった「ビールの仕込みにずっと付いていいよ」と言われたのは、入社して4カ月目。記念すべき日は、星さんの誕生日でもあった。
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